赤岩湯本家忍者屋敷-からくり引き戸の再現-

赤岩湯本家と忍者

 

展示会場である湯本家の祖は木曽義仲に仕えた人物で、源頼朝が浅間山で狩りを行った際に草津温泉へ案内し、湯本姓を与えられたという。戦国時代には真田氏に仕えていたが、江戸初期に本家は断絶、六合村に戻った一族が医業・売薬を生業としてきた。
 
吾妻に土着していた滋野一族の海野、祢津、望月は特に滋野三家と呼ばれている。そして望月氏の系統に湯本氏があった。望月氏は近江国甲賀付近に古くからつながりがあり、移り住んだ一族は甲賀望月氏の祖となっている。甲賀望月氏は後に甲賀忍者と呼ばれる甲賀五十三家の筆頭格に数えられ、望月出雲守屋敷跡は現在甲賀流忍術屋敷となっている。
 
忍者の活動には、修験道、真言密教、陰陽道などの宗教的要素が取り込まれていた。医療・売薬・呪術を行いつつ各地を移動し地域にとけこむ修験者の生活は、諜報・攪乱のため諸国に潜伏する忍者の役割と深く結びついていた。滋野氏の一族は中世以来、祈祷や陰陽道の呪術をよくする集団であったという。そこから医療・売薬を仕事として全国を回る山伏になることもあった。
 
六合村へ戻った赤岩湯本家の家業が医業・売薬となったのは偶然だったのだろうか。ひそかに受け継がれた技を一族断絶の危機に際し活用したのではないだろうか。そしてその伝来の技の中に、医療や製薬以外の何かの術があったと考えても不自然ではない。赤岩の湯本家には迫害を逃れて逃亡した江戸後期の蘭学者、高野長英をかくまった部屋が残されている。当時幕府から徹底した捜索を受けていた長英をかくまう際に、ひそかに受け継がれた術が使用されたのではないだろうか。
 
今回、長く非公開であった湯本家住宅一階の居間が公開される。それに合わせ、高野長英をかくまった湯本家は滋野三家の時代よりひそかに受け継がれてきた忍者の家系であると仮定し、かつてそこに仕掛けられていたであろうからくりを想定再現した。
 
真実と虚構の境界は、テクノロジーの進化と共にむしろあいまいとなっている。作品を通じて、自分たちはその世界に生きていることを表現する。からくりが真実と虚構を重ね合わせた存在の象徴となる。
 

赤岩湯本家 

 

作品設置状況 

 

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